私は脱原発派か?

 現在の原発に対する考え方の主流は
・安全確認後の再稼動。安全確認できない原発は再稼動しない。
原発寿命は原則40年
原発新設はなし
・寿命による脱原発
ということだろう。おそらく民主党はこんな考えかと思われるし、細野大臣の2030年の原発比率15%というのもこの考え方に沿ったものだろう。
 ところで私はといえば「原発停止の経済性」に示したようにこんな考えだ。
・今後約10年程度は原発停止。その間に安全対策と廃棄物処分の社会的合意(信頼)を得る。(そのためには橋下市長らの提言を実施するのがいいだろう。)
・安全対策と廃棄物処分の合意ができた原発は寿命60年まで動かす。
・安全対策と廃棄物処分ができるなら新設もあり。
・安全対策と廃棄物処分ができるなら輸出もあり。
 この考えは脱原発だろうか。とてもそうはいえない。政府よりも橋下市長よりも明らかに原発推進的考えである。だからいわゆる反原発派、脱原発派の人たちからは嫌われるであろう。ところが原発推進派からは脱原発派とされてしまうのだ。なぜか。原発推進派の論理はこうである。

 「大阪府市統合本部が『原発再稼働の条件』として出したのは、『原発から100キロ圏内の住民の同意を得て府県と原発の協定を締結する』とか『使用済み核燃料の最終処理体制確立』など8つの条件である。大飯原発から『100キロ圏内』といえば、福井県だけではなく、京都府大阪府兵庫県滋賀県鳥取県岐阜県まで含む。これだけ広範な府県・市町村すべての同意がないと原発を運転できないとすれば、全国の原発が運転できなくなるだろう。(略)要するに、ハードルを無限に上げてすべての原発を止めようとしているのだ。」池田信夫ニューズウイークコラム

 池田信夫が推進派の代表なわけではないが、推進派の人はおそらくこのような考え方をしていると思う。橋下市長の8条件は原発再稼動の条件を示しているだけで再稼動するべきではないとは言っていないしその後原発を減らすとも増やすとも言っていない。だからあの8条件だけ見れは脱原発とも原発推進ともいえない(橋本市長自身は原発をなくせとは言っているが)。もしあの8条件を国や電力会社がクリアすれば原発推進の社会的合意ができたとも言えるのだ。それができれば脱原発ではなく原発の長寿命化や原発新設なども可能になるかも知れない。だから推進派こそこういった社会的合意をとることに熱心になってもいいはずだ。なのに原発推進派はちらりともそれをやろうと考えず、非現実的といって攻撃するばかりだ。それはなぜか。
 つまり原発推進派とは「原発推進を考える人」ではないのだ。「原発推進を考える人」が定義なら私だって原発推進派になるはずだ。しかしそうはならない。原発推進派とは逆説的だが「原発推進の社会的合意を得ることは不可能と信じている人」なのである。
 そんなばかなと思うかも知れないが考えてみれば自然なことなのだ。原発推進派は安全神話を形成することにより原発を推進してきた。安全神話は「安全対策と廃棄物処分の社会的合意」のかわりに作られたものだ。つまり安全神話の無意識の前提として「安全対策と廃棄物処分の社会的合意は不可能」という認識があったのだ。安全神話が事故により崩壊しても原発推進派は「安全対策と廃棄物処分の社会的合意が不可能」というところは未だ無意識に信じている。そして自分たちにそういう習性があることを自覚していない。
 しかし今後の原発推進のためには神話に頼らずに「安全対策と廃棄物処分の社会的合意」という原発推進派が不可能と信じた道に挑戦することしか残されてはいない。そしてそれは実は挑戦してこなかっただけで不可能ではないと私は思う。広範な地域の同意が必要だとしても全ての地域の同意に必要な十分な安全対策をすればいいのだ。それだけの覚悟をもって原発は推進すべきなのである。
 これができればメリットはいろいろある。原発の寿命が延びれば代替燃料費の節約になるし、化石燃料高騰のリスクヘッジにもなる。合意さえできていればより安全な原発を新設することだってできる。世界で一番地震の多い日本で地震津波に強い安全対策ができればそれはすなわち世界の原発を安全にする。新興国では福島事故などにかかわらず原発の需要は増えている。同じ原発なら十分な安全対策ができている原発の導入を新興国は希望するに違いない。日本は頼られているのだ。
 信頼を回復しようともしないで停電回避と代替燃料費というしょうもない理由で原発を再稼動しようとするのではなく、本当の信頼を確立し、世界に貢献できる真の技術を開発し、未来に希望を灯す、災い転じて福となす、自動的な反応ではなく自分の頭で考えることのできる新しい原発推進派の台頭を私は期待したいと思う。