「精神と物質」

 1990年の本で、ノーベル賞を受賞した利根川進立花隆の対談。物理学賞ならなんとなくイメージできるが、生理学医学賞というのはよくわからないままだったのでちょっと勉強しようと思って読んでみた。
 登場人物がびっくりするほどノーベル賞受賞者ばっかりだ。当時この辺の実験技術は日進月歩で、その分野の第一人者の研究所にいると、最新技術の情報がいつも入ってきて全然違うそうだ。この人は生化学、分子生物学、免疫学と渡り歩き、それぞれでその分野のスタンダード技術をマスターし、そしてノーベル賞級の研究者がいる研究所で最先端の技術を導入し、それらを全て免疫学のホットな分野に投入し成果を上げた。自分がとても運がよかったと言っている。
 しかしそうはいってもそれぞれの技術は気の遠くなるような大変な作業の連続だ。実は研究者とは肉体労働者なのだ。そんなことで気が遠くなるような人は研究者には向かないといっている。確かにそうだ。こんなことはとても一般人には不可能だ。
 面白いのは研究所にいた人でものすごく頭がよく何でも知っている超人がいたらしいのだが、その人は相談相手として最高だが研究者としてはだめだったそうだ。研究者はやはりテーマの設定とかにセンスが要求される。頭がいいだけではだめ、知識があるだけではだめ。かえってありすぎるとセンスを阻害していまうようだ。小柴さんの勘を磨くみたいなことはどの分野でも必要なのだ。
 そうやって利根川博士は専門であった生化学や分子生物学の手法を免疫学に持ち込んでマウスの胎児の遺伝子と成体の抗体遺伝子が異なることを発見し、遺伝子組換が生体内で行われて抗体の多様性を形成しているメカニズムを明らかにした。
 遺伝子というのは生体とは言え、たんぱく質の設計書になっている塩基の配列であり、その実験はDNAを70度で焼き付けたりしていて生体の実験という感じではない。本人も生態とはDNAに基づいて設計されている機械の一種と言っている。この本の題名「精神と物質」というのは生体を物質で説明できてしまう怖さを言っているのかと思う。
 この本がでてから20年。今やヒトゲノムはすべて解明されたはず。脳と免疫が似てるとかともいっていたが今はその分野はどれだけ進歩しているのだろうか。