笹井さんの件

すべてが裏目とはこのことだろう。理研がなぜ小保方さん一人に責任を押し付けたかといえば笹井さんを守るためであったろう。小保方さんがなぜ理研に対し孤軍奮闘して戦ったかといえば笹井さんに育ててもらったSTAP細胞を死なせてはならないという思いからであったろう。両者とも笹井さんのために戦っていたのにそのバトルは結局当の笹井さんを引き裂き死なせることになってしまった。この問題ははじめから登場人物の誰も悪意を持っていなかったと思う。みな善意でやっていたことなのに巡り巡って最高の研究者を死なせることになるなんてまさに現代の悲劇である。ただそれはその流れを止められる人が誰もいないという日本社会の喜劇でもある。仲介役のような人は誰もいなかった。結局、原発でもそうだが、誰もの信頼を集められるような科学分野での中心となる組織がないということが問題なのではないだろうか。それぞれの学会は利害で動くと誰もが思っているから世間の意見も収束しない。おそらく一昔前なら国がうまく収めただろう。しかし今や国も信頼を失っている。結局今回のことの最大の間違った一歩は理研が「論文の体をなしていない」と小保方さんを非難したあの会見だったろうと思う。あれが「どうもいろいろだめなところがあったようですいません」と理研として謝っていたらこんなことにはならなかったのではないかと思う。あの会見で「理研対小保方さん」という対立の構図が確立され世間のおかずになってしまったのだ。