電事連の原子力CM

昨日は山の太陽光にいったらパネルが花粉だらけ。ものすごい量の花粉が飛んでいるようだ。そのせいか、これまで花粉症とは無縁だったのに昨日から花の奥がかゆく、くしゃみや鼻水がよく出る。ついに自分も花粉症になってしまったのかも。これまで無縁で楽だったのにな。
電事連がエネルギーミックスのCMを流し始めた。安全を前提に原子力を活用すべきという内容だが、前提が間違っている。安全は前提にはできない。福島事故で原発は事故を起こさないというのは間違いだということを学んだはずだったのに、電事連だけは学んでいない。安全が前提でなければ当然事故は想定しなければならない。しかし、日本最大の収益力を誇る東京電力が人口密度の低い福島で事故を起こして賠償ができないのにそれより圧倒的に人口密度が大きく、世界遺産の京都などに近い原発を再稼働している関西電力が事故の賠償ができる裏付けは全くない。安全が前提でなければ再稼働はできないのだ。しかし安全は前提にできない。どんなに備えをしたところで想定外はなくせない。つまり再稼働はできない。やるべきではない。やるなら収益と賠償の比率を実現可能な状態にする必要がある。そのアイデアの一つが根室原発特区だ。日本で一番人口の少ない地域に原発を集中させる。それは収益も集中させることを意味する。それなら事故が起こってもその収益で賠償ができるはずだ。これは賠償責任だけの話だが、他にも事故を起こした時の刑事責任はだれがとるのか、避難はどこまでみとめられるのか、廃炉はどうするのか、そして廃棄物はどこに処理するのかなど、未解決の問題はたくさんあり、事故後片付いたものはない。事故で何も進歩していないのに原発稼働はすべきでないのだ。また同じことを繰り返すことになる。
原子力人材を確保するために再稼働という主張もあるようだが、完全に逆だ。福島事故で日本の原子力界にはろくな人材がいないことが明らかになった。事故防止の能力もなければ事故収束の能力もない。事故に備えたものは役に立たない。つまり原子力人材はすでに枯渇している。だから再稼働すべきでないのだ。廃炉はこれからの課題だから廃炉の人材はこれから確保すればよい。原子力人材がいないのに再稼働に進むのは自殺行為だ。
KYというのは一般には「空気が読めない」の略だが、工事現場では「危険予知」の略だ。この40年、日本の原子力は危険予知の能力が高く、それゆえ原子力に反対した人材をことごとく排除し弾圧した。その結果日本の原子力は危険予知能力の無い人だけで構成されることになった。その結果が福島事故なのだ。規制委が合格を出したから安全ですなんて危険予知能力の無いものだけが言えるセリフなのだ。事故後危険予知能力になんの改善もないことがこのセリフで明らかだ。危険度は事故前と何も変わっていない。また事故は起こる。再稼働しないことが最も安全な対策なのだ。