「あの頃、君を追いかけた」ダメ出し

「あの頃、君を追いかけた」という題名なのに映画中にコートンがチアイーを追いかけたシーンが無いという重大な欠陥を見つけてしまったのでついでに映画のおかしいところをさらってみよう。

①コートンがチアイーの前の席に移るところ

授業中に抜こうとする変態を美少女のそばの席に移すなんて安全上考えられない。襲えと言っているようなもの?

②コートンがチアイーに教科書を貸すシーン

チアイーのキャラから言ってチアイーが教科書を忘れるなんてことは絶対にありえない。

③チアイーが自作のテストをやらせるところ

コートンの学力がわかっているのだろうか。いろんなレベルの問題を混ぜて学力を測ろうとしているのだろうか。まあ、点数はわかっているので察しはつくのかな?そんな変でもないか。

④テストで勝負しようというところ

ついこの間まで劣等生だったコートンがチアイーと勝負になるわけなかろう。しかもそのあとに一緒に勉強する姿が延々と映される。勝負してないじゃん。ここで恋の歌がはいるのですでにコートンがチアイーを好きだから勉強しているといいたそうだけど、実際にはコートンがここまでチアイーを好きになったそぶりは見られず、どっちかというとチアイーの積極性(ペンでつつく、宿題を出す、居残りさせる等)が目立っており、弯弯との会話からも示唆されている。賭けに乗ったのも賭けているのに教えているところも一緒に勉強したいからなら説明はつく。恋しているのはチアイーの方という解釈もできる。

⑤ポニーテール

映画ではここでコートンはチアイーに完全に惚れた雰囲気だ。しかし賭けに勝ったのにポニーテールにしたチアイーの行動はやはりコートンが好きだからと解釈できる。そのあとの高校中のシーンはすべてポニーテールだし、盗難騒ぎもコートンの助け舟に出たとも見える。やはりここでも追っかけているのはチアイーの方。コートンが追っかけているシーンの無いまま、高校は卒業してしまう。

⑥大学入試試験

共通一次試験に失敗したって失敗していないコートンが合わせれば同じ大学にいけるはず。ここでもコートンは追っかけていない。(原作ではコートンは先に推薦入試に受かっちゃっているので追いかけられない)

⑦入試失敗がわかった夜

ふつうラブストーリーでは告白シーンは重要なはずだが、チアイーの方から「今好きと言わないで」と言ってしまい、コートンが「知ってるだろ」と返すというありえない告白。告白のタイミングは失ったのにコートンがチアイーを好きだというのは既成事実になってしまう。こんな告白シーンがほかにあるか?変というより面白い。実質的な告白はアップルTシャツかも。

もうひとつ、ここでコートンがチアイーの背中に手をあてる。これがこの映画の中で意識的にコートンがチアイーに触れる唯一の場面だ。何の意味があるのだろう。触れるなら抱きしめたってよさそうだが、この絶好なシチュエーションでもそれより先に進めないコートンの幼稚さの表現なのかな?高校卒業してからのコートンはどの場面でも人が変わったかのようにおとなしい。

おそらくはこの場面が二人の心がもっとも近づいた瞬間ではなかったか。原作ではこのときに7時間の電話をして結婚する、答えが聞きたい?という会話をしている。ここが実は二人の関係の頂点で二人の期待とはうらはらにここを境に二人の心は離れて行ってしまう。電話をしてもデートをしても近づかなくなってしまうのだ。

⑧クリスマスデート

クリスマスデートに至る過程は完全に省略されている。コートンが「これってデートか?」と聞くわけだからチアイーの方から誘っているのはあきらか。場所的にもチアイー側。デートシーンもチアイー主導な感じ。チアイーはそこまで積極的であるにもかかわらず、しかもコートンがすでにチアイーに対し「好きだ」を連発しているにも関わらず、自分の気持ちを伝えない。それってあり得るか?女性の共感は得られるのか?

この辺の女性心理についてはこちらのブログが詳しい。日本版の感想だがなるほどと思った。

【あの頃、君を追いかけた】感想① | yamagmmmmmのブログ

 

⑨喧嘩大会の後

チアイーはわざわざ来たのに文句を言われて去っていくコートンを追いかけない。高校卒業後久々にみせたコートンの元気な姿だったのに。映画が言うようにコートンが戻ってくるパターンもあり得るだろうが、ここまで追いかけてきたチアイーがコートンを追いかける方がより自然だろう。それをしないチアイーの心理やいかに。ここでも女性の共感は得られるのだろうか。

これについてはおそらく対になるのが阿和とのデートでけんかしているカップルを見るシーン。このシーンの意味もよくわからなかったがたぶん、チアイーもこのカップルのように怒って離れようとする男を追い、なだめればコートンともうまくいったのではないかという後悔のシーン?うまくいかなかったのはコートンが悪いと思っていたが追うべきだったのに追わなかった自分も悪かったのかなとこのシーンで思ったのでは?

地震後の電話

地震の時に長電話しちゃいけません。まあ、それはおいといて、お互い2年も音信不通ってありえないでしょ。とくにチアイーは自分が怒らせたのだから謝罪の電話をいれるはず。それもしなかったならもう二人は終わっているとしか言いようがない。そして「思いの強さが感じ取れない」「あなたほど好いてくれる人はもういないかも」という言葉がでてくるわけだが、これまで検討したようにコートンのチアイーに対する思いの強さが感じ取れるところは映画のどこにもない。どちらかというと思いを寄せていたのはチアイーであり、コートンはチアイーの手のひらで喜んで踊っていただけだ。なぜかここだけは二人とも記憶が映画ではなく原作の方に飛んでいる。

というわけで詳細に検討してみるとこの映画は「あの頃、君を追いかけた」という題名でありコートンがチアイーを追いかけた映画と皆思っているが、実は追いかけたのはチアイーの方であり、コートンの好意を得られたにも関わらず、最後の一押しがどうしてもできなくてコートンに逃げられた物語だ。世の中の人全員が勘違いしているところが面白い。もちろん原作は明らかにコートンがチアイーを追いかけた物語であるので、それがわかっていればいいのだが。監督は原作を映画化したように見えて実は自分の夢を映画化したのだろう。