「電力自由化」

つい昨日政府が東電議決権の3分の2を持つことを検討というニュースがあった。まさに今よむべき本である。電力は技術革新によって自由化の可能性が高まってきた。日本の自由化の議論は電力料金低減を目的にはじまり、大口の契約は自由化され、新規の発電会社が参入できるようになり、電力市場も創設された。しかしそれでも既存電力会社が強すぎるため実質的な自由化には程遠かった。そのため発送電分離が行われることになっていたのだが、電力会社が自民党に強力な圧力をかけて撤回させた。一方、自由化の危機感から電力会社は自発的に電力料金を下げていった。その結果電力料金も下がったし、形だけは自由化したところもあったし、発送電一体のため安定供給ができるし、このままでいいんじゃないかということになって一段落していたのだった。一方海外では発送電分離が進んでおり、欧州では国を超えた市場が形成され、その結果再生可能エネルギーをかなりの割合で入れることに成功した。アメリカでは恒常的に電力不足が懸念されるため、スマートグリッド導入の機運が高まった。一方日本は自由化と相性の悪い原発を優先し、再生可能エネルギーの導入機運は低く、また将来的に市場は縮小して電力不足も懸念されなかったため電力体制を変える機運に乏しかった。それを一変させたのが大震災で、原発が止まり、電力が不足し、再生可能エネルギー導入の機運が高まると、電力自由化の意味も大きくなったのだ。送電は全国1社か2社体制にして市場を広げ、運用の弾力性を高め、発電部門は小さく分割し、競争させるとともに、市場取引によって需要と供給を一致させピーク電力を下げ、供給を効率化する。また様々なサービスが林立し、電気自動車や蓄電池などとも連携したスマートグリッドによる自律分散的な電力供給を実現する。そうはいってもその実現可能性は低かった。ところが政府が東電の議決権を握ることによりその実現可能性が見えてきた。脱原発本かと思ったがそういう色はなかった。著者がちらっと言っていた、現在の日本のダメなところは組織が力をもちすぎたところにあるという指摘は共感する。