エネルギー基本計画パブリックコメント

エネルギー基本計画に対するパブリックコメントを書いてみた。はたして読まれるのだろうか。
「「原子力発電は・・・重要なベース電源として引き続き活用していく。(A)」「原発依存度については・・・可能な限り低減させる。(B)」これは矛盾である。Bであるならすでに原発ゼロなのだから再稼動の必要がない。Aであるなら原発依存度については何らかの数値目標が設定されるべきである。このふたつの表現が並存していることによりこの意見は信用性が疑われる。
 エネルギーはこの意見書にもあるように代替手段が確保されることが必要であると考える。であれば、原子力発電についてはAの見解が正しく、Bについては記述する必要がない。むしろ今後化石燃料価格は高騰が予想され、地球温暖化の懸念もあることから原発依存度を高める方向が志向されるべきである。
 ところが福島原発事故により原発は非常に政治的に不安定な電源となっている。たとえ原発を再稼動しても選挙結果次第では停止の可能性をもっている。であるがゆえにBの記述となったと思われるが、それは間違いである。必要なのは原発依存度を下げることではなく、原発の社会に対する受容を促進することである。
 原発安全神話は一見原発の受容促進をしていたようにも見えるが実は原発の真の姿が社会的に受容されないことを前提に原発の危険性を隠す手法であった。そのため一旦その危険性が露出した段階で原発は受容されないものとなった。今後求めるべきは原発のリスクも利益も含めた真の姿の受容でなければならない。
 そのために必要なことはすでに意見書に書かれている。福島の事故の処理を進め、責任体制を明確にし、避難計画を万全とし、安全対策を進め、廃棄物処分の道筋をつけなければならない。ところが意見書の内容はこれらがまだ進まないうちにベース電源として活用し、依存度を下げるということになっている。つまり社会的受容に必要なことをやらないうちに動かして減らすので意見書の内容では原発は社会的に受容される必要がないし、社会的受容が問題になる前に原発を減らすので問題がなくなっていくような印象だ。
 しかしそれでは将来の原発の活用の可能性はない。もっとも望ましいのは原発の真の姿が社会的に受容され、原発を増やしても問題ない状況になることである。であれば正しい方策は福島の事故の処理を進め、責任体制を明確にし、避難計画を万全とし、安全対策を進め、廃棄物処分の道筋をつけることによって原発の社会的受容を進め、その後原発を大いに活用することなのである。
 もちろん上記方策や原発の社会的受容には時間がかかる。その間、代替燃料費がかかる、電力不足が慢性化するなどの問題が発生するだろう。しかし、一旦原発の社会的受容がなされればこれらの損失は何倍にも取り戻せるだろう。エネルギーの効率化には電化は重要な手段であり、化石燃料が高騰しても電気エネルギーで代替できる用途は多い。将来そのような事態となったとき電気を生み出すのが再生エネルギーしかないのか、問題が解決された原発を自由に使えるかで日本のエネルギー事情は大きく異なる。電気が豊富にあれば意見書にもあるように水素社会への移行や水素からアルコール・メタン等の生成が行われることにより化石燃料の相当部分が代替できるのだ。
 原発の社会的受容を最優先するとしばらくの間原発の再稼動はできない。今は原発の再稼動が近い将来予定される状態なので非常に老朽化した発電所をそのまま使っているが、しばらく動かさないことが決定できれば、代替発電所の建設にも着手できる。しばらくの間電力不足や電気代の高止まりが予定されればコージェネレーション等省エネ設備の導入にも踏み切れる。原発の社会的受容を試みる間は苦しい期間が続くがそれらは決して無駄な期間ではなく、一層の省エネ社会に移行できるチャンスでもある。
 日本のエネルギーの内、発電用は1/4、原発が期待されるのはさらにその1/4程度である。わずか1/16のエネルギーをあきらめることにより、発電以外の3/4部分が10%省エネできれば元はとれる。ぜひとも当面の原発再稼動より、原発の様々ある課題の道筋をつけ、原発の社会的受容を最優先し、原発を政治的に安定化させてから、原発を大いに活用する方向で提案していただきたいと切に思います。」