原子力推進派と反対派は手を結ぶべきだ

2030年の原発比率をめぐるニュースがこのところ多い。相変わらず原発即時廃炉とか原発は不可欠なエネルギーとかの議論も活発だ。しかし問題の本質は実はそこではない。鍵は発足する原子力規制機関が有効で信頼に足るものであるかどうかだ。なぜか。それこそが原子力の安全を決めるからである。
 結局のところ原発反対派は原子力の安全を求めている。もちろん倫理的、哲学的な問題もあるからそういう理由で反対する人は別だが、今回の原発事故を見て反対している人はほとんど安全を求める人だろう。推進派はどうか。まともに原発を推進しようと思っている人が原発の安全を求めないわけがない。原発の安全は推進派・反対派の共通語なのだ。
 いわゆる推進派と呼ばれる元電力会社とかメーカの人たちが原発規制機関のありかたについて提言している。
http://www.engy-sqr.com/media_open/others/teigenn-nodasoiri110907.pdf
これを読んでこれに反対する原発反対派がどれだけいるだろうか。もちろん規制強化は原発延命の免罪符というようなうがった見方をする人は別だが、普通の反対派なら効果的な安全規制の強化は歓迎するだろう。要は安全規制の強化という側面では原子力推進派と反対派は同志なのである。
 反対派の敵が推進派でないとしたら敵はどこにいるのか。敵は立地地元と電力会社とその顔色をうかがう役人だ。立地地元こそ安全にもっとも敏感なはずと思うが、実際には多数の利害関係者を抱え、既得権益をもつ地元は安全を無視しても金がほしいのである。当然動かせば金がはいる電力会社も安全を無視したい。この二者は安全を無視することの利害が一致している。そしてその顔色をうかがう役人も利害が一致することになる。つまり原発比率をめぐる議論の陰で実際の戦いは安全規制を強化したい勢力と規制を緩めたい勢力の間で行われている。野田総理原発稼働の演説で地元への配慮に言及したのはまったくいただけない。
 原発規制機関を作るのは役人だから安全規制は骨抜きになる方向で進むだろう。いわゆる原発反対派も推進派も安全規制を強化したい勢力なのだから力をあわせて安全規制強化に取り組むべきなのである。