佐村河内氏と小保方氏

何かと話題のこの二人だが、世間に責められているのはかわいそう。この二人はそれぞれ個人である。個人というのはいろんな特性を持っていて、欠点も長所ももった不完全な存在だ。世間も普通の個人に接するときにはそれはわかっていて、完全を要求することもない。この二人が普通の個人と違ったのは売り出しに大成功したということである。そして売り出しに成功したときにその品質を保証した組織が存在する。佐村河内氏の場合はNHKであり、小保方氏の場合はNATUREと理研であった。個人は不完全であってもいいのだが、品質を保証する組織が存在すると不完全は許されなくなる。しかし許されなくなったあとに問題が発覚すると、その追及は組織でなく個人に向かってしまう。いけにえになってしまうのだ。だから佐村河内氏がどんなにペテン師であっても小保方氏がどんなに間抜けであってもおどおどする必要はない。不完全な個人であることを主張すればいいのだ。本来責められるべきはその品質を保証した?組織なのである。そういう意味で佐村河内氏の謝罪会見は不完全な個人を主張する立派なものだった(佐村河内氏が立派といっているわけではない)。理研の中間発表はよく見てないが断片的に見たところでは組織として小保方氏の個人攻撃をしているようでよろしくない印象を受ける。さてSTAP細胞はどうなるだろうか。佐村河内氏の場合は問題はあっても立派な交響曲を残しているわけだから十分な存在意義がある。STAP細胞の場合も存在が確認されて論文の倫理だけの問題になるといいのだが。