原発のたとえ

前回書いた原発についてリスクを全員が引き受けなければならないという話、何かいいたとえはないかなーと思って考えた。
福井県の全員80万人が大阪から東京に移動しなければならないとする。交通手段は徒歩、車、新幹線、飛行機がある。基本、それぞれの町や村単位で交通手段を選べるが、飛行機に乗る場合は全員で選択する必要がある、というのはどうかな。
徒歩はもちろん再生可能エネルギー。燃料はいらないしCO2もださないが時間がかかるし宿泊費等よけいな費用もかかる。車は石炭。1台に何人も乗れば安いがCO2を多く出す。事故の危険もあるがみんな自分だけは大丈夫と思っている。新幹線はLNG。CO2は少ないが結構高い。でも速かったりいろいろメリットもある。飛行機が原発。速いし早めに予約すれば結構安いし、CO2はここではださないものとする。ただし落っこちる危険がある。
当然飛行機が一番速く楽なのだ。だから一部の人は絶対飛行機と主張する。ところが絶対飛行機には乗りたくないと一部の人も強硬に主張する。さて福井県は飛行機を選べるか、という問題。
つまりメリットも大きいがリスクも大きく、しかもそのメリットもリスクも全員で引き受ける必要があるものを選べるか、ということ。このたとえで言えばそんな意見をまとめのが大変なものはやめといてそれぞれが交通手段を選べるようにして、急ぐ必要がない人はなるべく徒歩くらいにしておけばいいのではと思うが。