徳大寺有恒と高木仁三郎

自動車評論家の徳大寺有恒が亡くなってネットで彼を評価する記事が結構ある。それまで車雑誌とかはメーカーのよいしょ記事しかなく、そうでない記事を書いたりすると業界からはじき出されるので誰もしなかった。そんななか、彼は辛らつな評価を書いた本を出し、業界からはじきだされたが、一般メディアが取り上げ話題になり、メーカーも許容するようになり、評価を真摯に受け止め改善するようになり、日本車のレベルアップに貢献することになった。正しい批判は活用すれば成長につながる。日本車は世界一になった。彼もえらかったし最終的に彼を受け入れた自動車業界もえらかった。その彼がその本を出したのが1976年ということだ。ほぼ同じ頃1975年に高木仁三郎原子力資料情報室を立ち上げた。原発にも正しい批判ができる人が出現したのだ。しかし、電力業界は受け入れなかったし、一般メディアも電力からの広告費がなくなるのを恐れ取り上げなかった。それから36年、福島の事故が起きた。批判を受け入れない業界は成長しない。電力業界は36年もの間自らの姿勢を省みることがなかった。高木仁三郎阪神大震災のあと物理学会誌に書いた記事がwikiのリンクにあったのでここにも貼っておこう。
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0002195281
福島の事故は起こるべくして起こったことがよくわかる。ここで心配されている事態がほぼそのまま起こっている。原発はいうまでもなく危険なものだ。安全であるかのようにいうのはウソか驕りかのどちらかだ。電力会社や政府の姿勢が変わらない限り原発は動かしてはだめだろう。