「大学病院で母はなぜ死んだか」


1992年のできごと。著者の母にすい臓がんが見つかりなじみの医者のところを経て大学病院に入院するのだが病院の汚さ、説明のなさなど患者および家族のフラストレーションがつづられ最後には患者にも家族にも無断で抗がん剤が投与されなにもしなければ1年程度は生きれたであろうに明らかに抗がん剤の副作用でなくなった。著者はその後この本をまとめるにあたり主治医にインタビューしているのだがそこでいっていることはまともな医者にみえるのだが入院中のその医者はまったく別人のようにつっけんどんで上記のようなことになった。こんなことがあるようだと近藤誠医師の「患者よがんと闘うな」というのはまったくもって重要な書であったといえるだろう。なおこの著者は本人に告知をしなかったがそれが結局は治療の選択肢をせばめ悲劇につながったとも思える。またこの著者は新聞記者で知人に医師がたくさんいてさまざまな助言を受けながらこんなことになった。また担当医に対して聞く努力を最大限しているのにこんな感じであった。一般の人はこれよりもさらに何もわからない状態であろう。医師側はすい臓がんというものはどんな治療をしてもなくなるものだからいちいち説明の必要はないと考えていたのかもしれない。しかし近藤医師のいうように治療しないということも含め選択肢がいろいろあるのだから医師とも患者本人ともよく相談の上決定すべきである。医師もひどいと思うが患者本人と相談しなかったことが最大の間違いだったといえるだろう。