「原爆投下とトルーマン」

私の原爆投下に対するこれまでの認識は、すでに日本が降伏することは決まっていて原爆を落とす必要などなかったのにソビエトに見せつけるために落とした、というものだった。一方アメリカなどでよく言われていることは原爆投下が日本の降伏を早め、さらなる100万人の戦死者をださずに済んだというものである。いずれにしても原爆投下は苦渋の決断だったということはイメージされている。この本によれば原爆投下は苦渋の決断などではなく、新しい爆弾の開発に成功すれば使うのは当然で、いわば自動的に落とされたものだった。日本の降伏は決まってなどなく、広島、長崎の原爆の威力と、広島に原爆を落としたのを見たソビエトがあわてて参戦してきたことに衝撃を受け天皇の決断で決まったのであった。だから本書によれば原爆が早期終戦をもたらしたことは明白である。一方アメリカは日本の本土決戦を恐れていてなんとかそれをせずに終戦にしたいと思っていたが、恐れていたとはいっても本土決戦で見積もられる米軍の死者数は数万といったところであり、原爆が100万人の命を救ったなどというのもありえないことをこの本は示している。つまり本書の結論は、原爆は早期終戦には役立ったが、死者数を低減したものではないということである。前に空爆の本を読んだ際も思ったことだが、非戦闘員への攻撃はよくないことだというのはみなよくわかってはいるのだが、戦争というのはなんとしてでも勝たなければいけないわけなので、空爆や原爆が勝利に少しでも役立つ可能性があるのなら、それが非戦闘員を大量に殺戮することになるとしても、それをやめさせるというのはできない相談だろう。そして原爆の場合、その被害は使ってみるまで分からなかったのである。トルーマンは原爆の被害の報告をうけてショックを受けたらしい。原爆が苦渋の決断という発想はその被害を知っているから言えることなのだ。