原子力の議論

 前に自動車は毎年多くの事故死者をだしているがそれでも使われているのだから、原子力が多少危険でもだから止めるということにはならないだろうと考えた。しかし、ここには大きな違いがある。自動車はそれがなくなると非常に困ることになるのは震災後の東北をみてもわかることだ。つまり自動車には代替手段がない。だから事故死者がなくならなくても社会は自動車を容認している。しかし原子力はどうか。原子力でなくても電気は作ることができる。つまり代替手段はある。今回の浜岡にしても発電設備の余裕は少なくなるがピーク電力を火力でカバーできる見込みはあるのだ。だから危険だったら社会は容認しない可能性はある。ただ、死者の数という意味では火力は原料の採掘時、水力はダム建設時に死者がでる一方、原子力は福島でも死者は出しておらず、危険どころか火力より安全という考え方はある。しかし、事故がおきたときたとえ死者がでなくても、広域で放射能を降らせ、半径20km以内は立ち入り禁止になるようなものを容認するかどうかの意見は分かれるだろう。そのほかにもコスト、CO2、廃棄物等さまざまな切り口の議論が考えられる。とにかく自動車と違い、原子力を容認するかどうかは十分議論の対象になる。そして、それらは行われてこなかった。ただ、その議論をこれからやってその議論がどちらに行くにしても実際には原発全廃も原発推進もなく、原発を徐々に減らしながら代替電源の開発という方向に進むだろう。原発を減らすのも十年単位でかかることであり、代替電源の開発も十年単位でかかることであるからその先を今から見通すことは難しいだろう。
 ところで浜岡は予想される東海地震震源域にあるとのことだ。震源域というのはプレートが沈み込んでいて、それが跳ね上がるときに地震津波がおきる。浜岡は跳ね上がるわけなので津波には強くなる。一方跳ね上がりは数mに達することもあるわけだから原発に対する影響は相当に大きいとみなければならない。中部電力は渋っているらしいがやはりすぐに止めるべきだ。中部電力が渋る理由はコストの上昇もあるだろうが、株主に訴えられて経営陣が損失を補償しなければならなくなる事態を恐れているようだ。いつも思うのだが、地域独占している電力会社が営利企業であるというのはどうなのだろう。通常は競争があって、その中で営利を求めることにより最適化につながるというメカニズムが期待される。たとえば焼肉店の事件で言えば、競争してコストを低減することで安く食べられるようになるが、行き過ぎたコストカットを行った店はこういった事件を起こしてつぶれ、適切に管理された店が生き残ることでそれなりの安全が維持される。しかし、独占企業が営利企業だとどんどん値上げして自己利益を増やす一方だ。それを防止するためにコストの一定割合を利益とするという仕組みになっているらしいが、そのため電力会社はコストをかければ自己の利益が上がる仕組みになってしまう。その結果やたらと高品質な電気をできるだけ高いピークに対応して供給するように体質ができてしまった。そしてそれは風力など低品質な電気の受け入れ拒否、自家発電や燃料電池等の余剰電力の受け入れ拒否、さらに非効率なオール電化の推進につながり、社会のエネルギー効率を下げてしまっている。一方行き過ぎたコストカットをして事故を起こしてもつぶれないので体質が維持されてしまう。電力会社は独占を維持するなら営利を目的としない公益事業体にするべきだし、営利企業のままであるなら自由化して競争を作るべきである。中部電力東京電力も自己利益ばかり考え、社会の利益はまったく考えていない。営利企業であったとしてもドラッカーに怒られるぞ。野球部の女子マネージャーより劣る考え方である。