誰がリスクをとるのか

ネットを見ていると今回の浜岡停止の判断に対し、独裁だとか法治国家のすることではないとか菅首相のパフォーマンスだとか言ってる人が多くてびっくりする。確かに通常の手続きではないだろう。だから首相自身が強制力のない要請であると言っている。首相自身が要請だといっているのだから独裁とか法治国家云々はあてはまらないだろう。中部電力は拒否するという選択あるいは受諾も拒否もせずに引き延ばし戦術に打って出ることもできた。そうなればそうなったでおもしろいとは思う。さて、そうなった場合にだれがリスクをとるのか。今回の問題は確実に発生する年2500億円の費用と、起きる確率は小さいがおきたら10兆円の被害とどっちをとるかという問題だ。いわゆる期待値を計算すれば起きる確率が2.5%以下なら10兆円の被害をとったほうが得ということになる。見方を変えれば年2500億円は保険代である。もし中部電力が受諾しないという選択をすればそれは10兆円のリスクをとるかわりに年2500億円のリターンを得るという判断ということになる。いわゆるハイリスクハイリターンである。ところが中部電力が単独で10兆円のリスクを引き受けられるのかといえば、引き受けられない。東電が主張しているように、電力会社は事故のリスクは国家がとるものと思っている。ローリスクハイリターンなのだ。それは国家が原発推進してるからという理由があったからこそ成り立っていた。いざというときには国家が面倒をみるから原発を使ってねと頼まれていたのだ。しかし、実際に事故が起こってみると電力会社の責任でしょと言われてしまった。はしごをはずされたかわいそうな東京電力。約束が違うじゃないかと思ってもとても口に出せない状態になってしまった。そして首相がおおっぴらに浜岡原発を停めてほしいといってしまったから中部電力は困った。国家としては浜岡のリスクを取るのはやだよとおおっぴらに表明してしまったのだ。もし受諾せずに地震が起きて被害が発生した時には中部電力は全リスクをかぶることを覚悟しなくてはならない。もちろん実際には全リスクをひきうけられないことははじめからわかっているのだからとれないリスクはないものと開き直って法律を根拠にローリスクハイリターン路線を突っ走ってもいいわけだけど。さすがに中部電力はそういう選択はしなかったようだ。最終リスクを引き受けることになる国家がそのリスクを最小にしようとするのはごく自然な行為だ。菅さんはごく自然なことをやったと私は思っている。ごく自然なことなのに過去の経緯から電力会社も官僚も政治家もみんなできなかったことなのだ。認識が歪んでいた中に自然な発想をポンといれただけのことだ。ところが新聞やテレビや経済学者にはそういう発想の人はごく少ないようなのだ。みんな発想がすでに歪んでいるのだろうか。日本は大丈夫なのだろうか。それとも自分の考え方は変なのか。