何を問題とするのか

海水注入中断問題は実は中断していなかったという笑っちゃう結末だった。新聞は注入中断したから菅退陣という論を注入中断したと誤って報告したから菅退陣という論になった。何があっても菅退陣。結局菅退陣が目的であって理由になりさえすれば問題などどうでもいいのだ。海水注入を中断しなかった所長は勲章ものだと思うが、虚偽報告で処分されるそうだ。世の中の評価軸は狂っている。自分が問題にしているのは何かというと目的や動機が間違っていなかったかということ。たとえば海水注入をしないことが再臨界防止のためと考えてのことであれば結果的に間違っていても問題には思わない。しかし、その場の危険回避より経済的な廃炉回避を目的としたものであればこれは目的や動機の誤りであり問題であると考える。目的と動機が行うべき行動と合っていれば、正答が誰にもわからないのだから(いまだにわからないし、わかるのは10年後に炉心を分解できたころだろう)、それが結果的に間違っていたとしても何らかの選択をして行動したことを非難すべきではない。同様に、事故時の情報が誤って伝えられたとしてもそれが情報を公開すると不利だとかパニック防止などの誤った目的や動機で行われていれば非難すべきであるけれども、事故時の混乱で情報が錯綜し、正しい情報をだそうとして、結果的に誤っていたものであったとすれば、それは非難すべきでない。私は何度も書いているけど菅政権はよくやっていると思っている。もちろん官僚との連係プレーはうまくいってないようだし、原子力安全委員会は頼りにならないし、手が回らないこともあるが、能力不足はあっても目的と動機が誤っていると感じたことは一度もない。自民党のときには目的や動機が行動と一致していると感じられたことはほとんどなかった。いつも隠れた目的や動機があるものと思っていた。だから私は今の政権ができるだけ長く存続することを望む。