「図解雑学 危険学」

原発事故調査委員長となった畑村洋太郎の本。失敗学に続いて危険学という学問も作ったようだ。起こりうることは起こる、不思議な無事故はあっても不思議な事故はない、事故は起こるべくして起こるなど、原発関係者に読ませたいものばかり。いわゆる安全神話とまさに正反対の発想である。たとえばマニュアル化。何かをマニュアル化するときにはそこに行き着くまでの試行錯誤の経験が裏にたっぷりある。しかしいったんマニュアル化して問題がなくなってしまうとその裏にどんな意味があったのか忘れてしまう、あるいは思いいたらない。その結果、マニュアルからちょっとはずれたようなことがあると事故につながるというものだ。あるいは組織の役割分担。若い組織は分担外のことまでやろうとしていろいろ摩擦がおきる。年老いた組織では摩擦をさけるため他の部署の分担しているところに近いことは遠慮するようになる。その結果やらなければならないことなのに誰もやらずに事故がおきたりする。原発アメリカの設計で、マニュアルはアメリカのものを訳しただけだ。日本にはマニュアル作りの裏にあったはずの試行錯誤の経験がない。もちろんマニュアルでは対応できなかったところの経験はいろいろあっただろうが、肝心なことはマニュアルの裏にあったはずなのだ。その結果停電が起きたとき、原発がどのような動作をするか(停電時には弁が閉じる)も知らなかったのだ。長年多額の金をかけ、研究者だっていっぱいいるはずなのにこのざま。何かが間違っているとしか思えない。また、海水冷却を吉田所長は部下に命令したはずだったのだが、命じられた部下たちは誰も自分の担当とは思わず、その結果準備が遅れた。冷却より重要な仕事があるのだろうか。まったく外から見れば不思議な話だが、組織とはそういうミスを起こすものなのだ。あらゆる対策を万全にやっても事故は起きる。何の準備もせずに安全神話だなんて厚顔無恥もいいところだ。畑村洋太郎を事故調査委員長に推薦したのはだれだったのだろうか。まさしく理想的な人事。この人事が菅政権の最大の功績と言っても私は言い過ぎではないと思う。

危険学 (図解雑学)

危険学 (図解雑学)