「原発のコスト」

大島教授の原発のコスト試算というのは原発問題を論じる際必ずといって良いほどでてくる有名なものである。そういうのはよく見ていても実際に大島教授の著作をみるのは初めて。あとがきを読むと大島教授にとっても初めての一般書の著作ということである。福島原発事故を受けて原発の補償機構に関する問題とか、多重防護の話とか、題名である原発のコスト、それも税金でまかなわれているところとかバックエンドの問題とか、脱原発の方策とか、とにかく多岐にわたる原発問題を網羅しており、それぞれにデータがあり、説得力ある結論があって、やはりこの問題の第一人者だけのことはあり、傑作と思う。
これまでいろいろ原発問題の本を読んでいて思うことがある。脱原発派のレベルの高さは明らか。推進派のレベルの低さは明らか。論を戦わせれば脱原発派の圧勝であるということだ。推進派は実はそれはわかっている。わかっているから数少ない推進論者でまわりを固め、金と権力で強引に推し進めてきたのだ。それは官僚の任務遂行の信念がそうさせたのかもしれないが、こういう事故を引き起こした以上、それを今後正当化することはできないだろう。うそで固めた正当性は歴史が許さないだろう。もんじゅや核燃サイクルがうまくいけば確かに国産エネルギーの確保が可能だったかもしれないが、幸か不幸かどちらもうまくいかず、にっちもさっちもいかなくなっている。自然エネルギーは高価かもしれないが、純国産エネルギーであることは確かだ。原発を今後も使っていけば電気料金を抑える効果は確かにある。しかしそれはうわべだけの話で、実際には国庫から多額の補償金が流出しているのだから、実際に福島事故の全責任を東京電力がひっかぶれば電気料金は何倍にもなるだろう。どちらにしても電気料金値上げは避けられないのだ。また日本で地震津波も避けられないのだから、第二の福島事故も避けられないとみるべきだ。だからどうせ電気料金が高くなるのだったら自然エネルギーを活用するほうに舵をきるべきだと思う。なお、原発技術が今後も必要なのは確かだ。また、世界が原発を必要としているのも確かかも知れない。だから原発技術者は地震のない海外の原発で腕を磨けばよい。また、すでに避難完了している福島なら新たな原発を稼動させてもよい。第二の福島をさけるためそれ以外の日本の原発廃炉とすべきである。

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)

原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)