放射能問題の議論

世の中原発問題の議論のうち半分以上が放射能が怖いか怖くないかに関するものだ。何ミリシーベルトなら安全かとかそういうことである。しかしこれらの議論はあんまり意味がない。危険という主張も安全であるという主張もおそらく正しいのだ。子供を一人でお使いに行かせたとき、車にひかれたらどうするのという人もいればそんなの心配することないという人もいる。ほとんどの場合心配することはないのだがごくまれに車にひかれちゃう子がいるのも確かだ。どちらも正しいわけである。こういう何が正しいかわからないことについて人々はそのつど自分なりの答えを出して行動している。放射能は今まで各自がそういう答えを出すことがなかったのでみんな動揺しただろうが、結局危険であるのも心配ないのも確かなので自分なりの答えを出して行動するしかない。答えがでるものではないし、どちらに偏った行動をとっても正解なのだ。交通事故が怖いから車のこないような田舎に引っ越す人がいてもおかしくはない。同様に放射能が怖いから北海道や沖縄に引っ越す人がいてもおかしくはない。一方、それらをまったく気にせず生活する人がいてもおかしくはない。問題があるとすれば、どちらかを正しいと決め付けて自分が間違っていると思ったほうの行動をとる人の悪口を言ったりすることである。意見の表明はいいが、悪口はいけません。そこを切り分けられないとやっぱり日本人は議論べたといわれてしまうのだ。