佐村河内、STAP、石器、袴田事件

捏造といって思い出すもの。
佐村河内事件の場合は耳の聞こえない現代のベートーベンという物語を捏造したわけだが、アウトプットとしての交響曲は立派なものを世に出しており、ゴーストライター氏に対価もきちんと渡しているわけであるから、物語を信じた人以外にはまったく問題のない捏造だ。
STAPは証拠となるべき論文の写真の捏造が疑われており、それはすなわち論文の成果自体の価値を疑われる事態になっている。これは論文自体は捏造できても誰も再現できなければ成果の捏造は不可能であり、論文が捏造であっても再現がうまくいけば成果はあったことになる。結局これも捏造があるとすれば話題の捏造であって佐村河内の物語同様あまり問題がない。
石器の場合は論文の捏造ではなく成果の捏造である。その石器がその位置からでてきたことを捏造されると誰もチェックできない。再現性を確かめることはできない。その意味でSTAPより悪質性は高く、他の考察にも与える影響は大きい。しかし埋めるシーンを押さえることで発覚できた。一回限りなら誰にもわからない。
袴田事件の証拠捏造は確定したわけでないがきわめて悪質だ。本人がはけないことが明白なズボンの血痕をもとに無実の人を死刑判決に追いやった。本人がやっていないとも言える証拠は今でもあるのに警察、検察は今まで隠していたのだ。証拠を開示されなければ誰にもチェックできないことをいいことに不当な証拠を組織的に捏造したわけだ。日本の警察は検挙率世界一みたいにもてはやされることもあったが、それは無実の人を犯人に仕立て上げる能力が優れている意味だった。同じ捏造でも悪質さという点では最悪だ。そんな最悪な犯罪をやってもやった個人は特定されず、刑は受けることなく公務員の高い給料、退職金、年金をもらえるわけだ。日本はそんな組織に警察、検察の仕事を任せている国なのだ。そして裁判所はそんな検察が起訴する案件について99.8%有罪にする国なのだ。マスコミも佐村河内事件で騒ぐ暇があったらもっと重要なことがあるだろうという感じ。こんなことが起こる元凶は法にすべての証拠を開示する必要がないと書いてあることなのだから悪いのは国会であり、国会議員であり、結局国会議員を選んだ国民ということになるわけだが。