電力危機

 今、原発を動かせない状況となっていて、それに対して様々な批判がある。第一に電気を自由に使えなくなるとメーカーが海外に出ていってしまうというもの。確かにそうなのだが、原発事故が起こる前は円高やCO2削減目標が高過ぎることを理由に同じことがいわれていた。電気の問題がなくても状況は変わらない。もちろん一層悪くなったとはいえるが。しかし原発を動かしても状況が変わらないのであれば事故防止を重視する選択もありうる。外国の放射能忌避の対策として海外に生産を移す場合もあるだろうし、一概に原発を動かさないことが国内産業の空洞化につながっていると言えない。第2に原発分を火力に移すと大気汚染とCO2が増えるというものである。これは確かにそうなのだが、つまり、原発事故を重視するか大気汚染やCO2を重視するかの選択の問題だ。アメリカのように経済重視でCO2削減はしない方がよいという意見はこれまでも多くあってそれなりに支持を集めていたと思うので今放射能とCO2のどちらが増えていいかと言われれば多くの人は迷わずCO2と答えるだろう。第3に脱原発は高くつくといわれている。これも確かにそうなのだが、これは原発を増やして来て事故を起こした結果、原発にかけたコストが回収できなくなるために起きているものであって、原発自身が引き起こした高コストとも言える。実際には火力と原発とはコストはそれほど変わらないという論調も多いので、だとしたら最初から原発がなければ高コストにもならなかった。今後地震国に原発は無理というコンセンサスが形成されればこれまでかけた原発関連費用は完全に無駄になり、そうなる可能性もなきにしもあらずだ。しかも廃棄物処理はこれから多くの費用がかかる。原発こそが高コストの元凶と言える。なお今ある原発を寿命まで使い続けると少しはコスト低減になるのは確かだが、再度事故を起こせばそうも言えなくなるので、再稼働の際の安全確認はやってやり過ぎることはない。拙速な再稼働は行わず、保安院の独立など、安全のためにできることは全て行ってから認められるものについてのみ再稼働を認めるべきであろう。
 この何年か、石油の高騰やCO2削減のためエネルギー効率を高めることが求められていたが、自民党は消極的であり、鳩山政権が25バーセント削減を打ち出したときも非難ごうごうであり、エネルギー効率を高めるためにコージェネスマートグリッドの導入が叫ばれても電力会社は全くその気はなく、理念と現実の解離は広がる一方であった。原発を安全点検のために止め、そのため電力不足が起こると企業は自家発電およびコージェネを導入する大義名分ができるだろう。導入企業が増えれば当然発電余力も増え、買い取り圧力も強まって買い取り量が増え結果的に原発がなくても電気の供給には問題なくなるのではないかと思う。CO2の問題は残るが、安全が確認された寿命内の原発の再稼動やコージェネによる効率化や自然エネルギーの導入によって地道に減らしていくしかない。しかし、震災前には考えられなかったエネルギー効率の高い社会を実現する道がいまや開かれたと言える。その道の出発点が安全確認前の原発再稼働を認めない菅総理の方針転換である。日本が新たなステージに到達する可能性を作ったと言える。他の誰にもできないだろう。よくやったと言いたい。何十年後には日本の歴史の転換点として評価されるようになるだろう。
 日本は石油ショックのときは省エネルギーを懸命にやってエネルギー効率をよくした。公害問題もひどかったが今や公害という言葉が聞くことがないほど問題にならなくなっている。自動車の排ガス規制のときはまさにピンチをチャンスにしていちはやく規制をクリアし、世界進出の足掛かりとなった。過去の日本の成功は困難をチャンスに変えて飛躍して来たのだ。今回も原発による電力危機が社会のエネルギーの効率化に結びつけてほしいものだ。