記者クラブという辞任誘導スイッチ

鉢呂経産相が辞任した。ここにいたる報道が実に興味深い。8日視察から帰った夜囲んだ記者に対し放射能つけるぞみたいなことを言ったらしい。そして次の日記者会見で死の町と表現しそのあと撤回陳謝。そしてその次の日、死の町報道とともに「放射能つけるぞ」記事が各新聞に踊ったのである。ここで重要なのは「放射能つけるぞ」記事がでたのが9日ではなく10日であったということ。つまり9日にはだれも記事にしなかったのに10日に申し合わせたように記事になった。つまり申し合わせがあったのではないか、それはどこで行われ誰の指示だったのかというところが興味深いところなわけである。一方その発言内容は各紙で異なっている。発言内容について各紙のすり合わせは行われなかったようなのだ。つまり、現場にいた記者たちはこれを記事にしようとは思っていなかったと思われる。ところが「死の町」発言を聞いた記者たちがおそらく記者クラブで「放射能つけるぞ」も記事にしようと申し合わせたのではないか。その結果経産相は辞任した。これは国民のためになることなのだろうか。マスコミは権力の番人といっているが、今の政治家は権力を握っているか?権力を握っているのは官僚ではないだろうか。原発0発言など官僚の意向に沿わない政治家は記者クラブを通じて取るに足らない失言を騒ぎたてさせ辞任させる。それでも辞任しない場合には自民党に追求させ、それでも辞任しない場合にはどんなに重要な法案でも反対して通さないようにする。記者クラブという辞任誘導スイッチを官僚が押せば以上のような流れで自動的に官僚の意向に沿わない大臣は辞めさせられる。菅総理はこれに対抗しよく頑張った。あるいは閣僚でなければ検察に微罪を追及させ、それをまたマスコミに騒ぎ立てさせ、政治的に葬ることもできる。小沢元代表や前福島知事などはこの路線であろう。官僚が政策を遂行するため、あるいは既得権益を守るため使えるツールをうまく使うのは避けられないかもしれない。しかしそれにのったこのようななんの自省もないマスコミの報道は政治家を弱体化させ、官僚支配を強化していると言わざるを得ない。今回の報道はまさしくそういったものだ。決して国民のためになっていないし報道機関の無恥厚顔を象徴する報道姿勢である。一方今回あまりにも簡単に大臣が辞任したが、マスコミに対抗するためいかにも簡単に大臣をとっかえひっかえするというのは戦略としてはありうるだろう。あまりにも簡単に大臣が交代していけば、失言追及もあきれられていくだろう。