感情的なのは脱原発派か

大前研一の報告書には今回の事故を踏まえたうえでの対策がこれでもかと並んでいる。これらをみてこれまで反原発運動をしていた人たちはむなしくなってくるのではなかろうか。それはそのほとんどがこれまで反原発運動家が指摘してきたことであるからだ。ネットの議論を見ると論理的に考えれば原発を動かさないのはおかしい、脱原発派は感情に突き動かされているだけだ、あるいは一種の宗教だという論調をみかけることがある。しかし原発を稼動させてきた人たちが論理的であれば、指摘を受けておいて改善せず事故を起こすわけがない。そういった指摘をしてきた人たちと指摘を無視した人たちでどちらが論理的であるかは明らかだ。無視した人たちはなぜ指摘を無視し、明らかな危険を放置したのか。それはひとえに原発安全神話を守り抜くためだろう。それこそ一種の宗教だ。論理的に考えず原発安全神話を守るため感情的に対処していたのは原発を推進していた人たちの方である。