「ハイブリッド」

 プリウスの誕生秘話。これまで読んだものの中で一番詳しく、苦労もみえて面白い。
 ハイブリッドの歴史としては最初のものはなんと1900年にポルシェがつくったシリーズハイブリッドだそうだ。しかし安く航続距離の長いガソリン車にとってかわられた。その後トヨタ社内で1960年ごろから1970年代にガスタービン車の研究が行われ、シリーズハイブリッドも検討された。そして今回のプリウスにつながる流れだ。
 プリウスへの流れの発端はまず1992年に1970年ごろの開発に携わった役員がEV開発室を立ち上げたこと。カルフォルニア州のZEV規制を対象にしたものだが、ハイブリッドや燃料電池車も並行して先行開発が行われた。そして21世紀用の車をゼロから考えるG21プロジェクトが1993年から始まった。これはハイブリッドを前提としたものでなかったが燃費を重視したものではあった。
 1995年のモーターショーでG21の車をだすことになり、だったらハイブリッドでということになった。このときの車はショー用の車をでっちあげただけで必ずしもプリウスにつながるものではなかったのだが、この段階でハイブリッドの実現可能性の検討が行われ、また、G21プロジェクトにハイブリッド車を含めることが決まった。そして80種類もあるハイブリッドの方式から最終的に今のプリウスの遊星歯車方式が選ばれた。
 G21プロジェクトは1999年12月発売を計画したが、鶴の一声でなんと2年も計画が前倒しされた。1995年にはハイブリッドもいれてみようということが決まっただけで試作車もないのに1997年に発売が決定されちゃったのだ。
 その後試作車をつくっても動かず、ただ動くだけの車にするだけで何か月もかかったり、電池も自作できず不良ばかりだったりととんでもない状態だったのに強引に1997年12月に発売してしまった。実はトヨタは当初月1000台予定だったのに発売前予約が2000台を超え、世の中の意識のほうが進んでいると感じたそうだ。
 発売後トラブル処理やユーザーの意見などを取り入れ、マイナーチェンジをしたがほぼ全システム作り変えだったようだ。そして2003年2代目プリウス(私もいまのっているやつ)が発売。それまでまったくマイナーだった5ドアハッチバックにしての登場。よくやったといいたい。
 既存技術を改良するのはたいへんとはいえ先が見えるが、まったく先の見えない新たなものをつくるのは本当に大変だ。ほんとうによくやったし、日本が誇る偉業と思う。今やプリウスカローラより売れていてG21の当初の目標も達成した。こんなような意識が電力業界にもちょっとでもあったらよかったのに。コストをもっとも気にするトヨタがこんなコスト度外視の開発ができたというのに総括原価方式でコストを気にしないでいられる電力業界がたかだか津波にも対応できずにダメになるとは。人間とか組織というのはほんとに不思議なものである。

ハイブリッド (文春新書)

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