「あの頃、君を追いかけた」(小説)

あの頃、君を追いかけた (講談社文庫)

小説読了。毒を食らわば皿まで。

 

これはまつたく理想的な青春だ。誰もがあこがれる美少女の同級生に勉強を教えてもらえて、そう言う不純な動機により猛勉強して成績はトップクラスとなり、途中別の子と仲良くなったりもしながらもその子と一緒に勉強する状況が中学から高校卒業まで続く。ただし、男は彼女が好きだが彼女は男を好きな素振りは見せない。卒業後、男は彼女を好きなことをはっきりと伝えるが返事は拒み、彼女は彼をどう思っているかを伝えることはないまま。その後彼は自分が頑張った喧嘩大会を彼女に幼稚と酷評されたことに腹を立てて彼女を振ってしまう。

 

あんなにお互いに好きでしあわせな時間をあんなに長く過ごしてきた二人はどうしてくっつけなかったのだろう。あまりにも理想的な高校時代とその後のギャップが激しく、他人事ながら消化できない。男は彼女のためとは言え基本自分がやりたいようにやっているし、自由奔放ということでまだかたをつけられそうだが、彼女はちょっとかわいそう。彼があんなに彼女が好きということがわかっていたのについに彼女は彼が好きとは伝える機会を失ったまま振られてしまった。それが悪いと言えばそうかも知れないが、彼が結婚したいとまで明確に言っていてそれまで8年もそんな感じで一緒にいたのに突然振られるのは理解できなかっただろう。とは言え、その状況を覆す行動力も彼女はもたなかった。これだけ理想的な関係を築いていても青春は気まぐれと言う他無い。

じゃあくっついていたらうまくいっていただろうか。学校が終わっても教室で一緒に夜おそくまで勉強し、帰ってからも電話で何時間も話し、朝も電話で起こされるような濃密な関係を続けてきた二人なのに、卒業後のデートシーンではなぜかまったくぎこちない。共通目的を持った同士としてはこの上なくうまくいっても、共通目的が無いとうまくいかなかったりする。

彼が彼女のことをオバサンと表現することが何度かあるが、彼女の彼を見る目線はどっちかというと母親目線保護者目線であり、逆に言えば彼が少しバカでちょうどいい。一緒に勉強する状況だとその状況が続くからちょうど良かったのだが、彼が絶対の自信を持つ分野に対し母親目線で文句をいうと彼は親離れしてしまった。彼女は彼が戻って来ることを期待したが、一度親離れした子は(子ではないが彼とも言えない)戻っては来なかった。

彼は彼で本当に好きなのは彼女ではなく「彼女を追いかけること」だったのかもしれない。彼女は彼女でもともと彼が好きなのは自分ではなく自分の幻想ではないかという疑問ももっていた。それが正しいのかも知れない。映画では後悔が感じられたが、別れてから復縁のチャンスはいくらでもあり、そうしなかったのだからそれでいいのだろう。結局はどちらにとってもいい結末なのかも。そうだとしてもあのすばらしい学校時代の輝きが消えることはない。それはそれですばらしいい体験だった。それは結婚という結末にはならなくてもその過程はいつまでも残る人生の宝物だ。それが映画になり、結婚という結末にならないのに大ヒットしたのが何よりの証拠。

まとめると、自由奔放な熱血男と、冷静で保護者的な堅い美少女との間に成立した奇跡の物語と常識的結末というところかな。

ところで小説と映画では大分違う。彼女が後ろの席になりペン先でつつかれるのは中学時代。その後彼は彼女以外の女の子に夢中になる。彼女はもちろん付き合っているわけでもないのもあるが、母親目線でみている。学校時代のエピソードは映画よりはるかにたくさんあって面白い。熱血だがそれを隠す彼と冷静だが意外に積極的な彼女の対比が面白い。映画で彼女の脇役の子は多分原作ではスパイの女の子。海岸で遊ぶシーンなどなく、代わりに仏教の子供キャンプの引率がある。映画のデートシーンはスパイの女の子の学園祭。行灯を飛ばすシーンとか、花婿にキスするシーンなど映画で非常に強烈なシーンは原作にはない。でも原作も監督も同じ人だからどちらでもいいということだろう。映画では再現されてないが原作では彼は彼女より3センチ背が低く、それが結構心の負担になっている。日本版など大男だから配役完全に間違ってるだろ。二人がわかれるきっかけの喧嘩大会に映画では彼女は見に行くが原作では電話の事後報告だ。そう言えば学校のお金が盗まれて疑われるシーンも原作にはなかった。映画では彼女を見直す重要なシーンだが原作では見直すなんて必要無い感じ。

映画の日本版は自分が配役を決めるならカローラのCMの二人かな(菅田将暉中条あやみ。乃木坂を使うなら白石麻衣の方がはるかに大人っぽくてしっくりくる。まあ、みんな忙しすぎて無理かも知れないが。それにしてもよくもここまでオリジナルと同じ構図・カット割りをやったものだ。しかもデートシーンのロケ地は台湾でもとの映画と同じ。監督は監督を務めたのが21年ぶりとのことなのでオリジナルをそのまま写すといい映画ができそうと思ったのだろう。おかげで台湾版の言葉がわからなくても楽しめる。映画を見るなら台湾のオリジナルが絶対いい。