「私が愛した東京電力」

北朝鮮拉致問題で有名な蓮池透さんの著書。知らなかったが、すでに退職はしているが東京電力に32年つとめ、しかもそのすべてが原子力関係で福島第一に勤めたことも2度、最後は核燃料サイクル部部長だったそうだ。ばりばりの専門家である。今回の事故をふまえつつ、自分が勤めていた頃の東京電力の内側を淡々と記述している。勤めていたころもこんなんでいいのかなと思うようなところはあったらしい。しかしそれを直すことはなかった。国の安全基準に合格しているからいいんじゃない、というのがその理由だ。ところが実際には国の安全基準の審査をしている官僚は原子力についてずぶの素人で、新任がくるとまず原子力についてレクチャーしてから審査してもらうというような感じだったらしい。また、もし直したりすると、だったら今までは安全じゃなかったの?といわれるのが一番困るそうである。こういうのを自縄自縛というのだ。原発技術はは危険なものをいろいろ対策して安全にしようとしているのに、作るときに原発技術は完成されたもので絶対安全ですなどといって作ったものだから直すと自己矛盾に陥るのである。河野太郎原発は動かしたとしても核燃料サイクルはやめるべきだという主張をしているが、この人は逆に核燃料サイクルが動かないうちは原発を増やすべきではないと考えている。それは第1に核のごみ処理ができないからであること、第2に核燃料サイクルが確立されなければ原子力は石油と同じように資源がなくなれば終わりであり、原子力をわざわざやる意味がなくなるからだ。もっともな主張である。そして現実に原子力はコストがかかっていてLNG火力と同等程度でありコストメリットはないそうだ。コストメリットがないのに事故時の負担が不可能で危険で出力調整ができず核のごみを残す原発はそれこそ選択する理由がない。LNG火力は出力調整が容易で資源量もあり、資源の偏りもすくなく、都会に作れば熱利用だってでき、熱効率が原発の倍以上にできる。原発を止めるとコスト高になるのは事実だが原発を作ってしまったことが間違いなのだ。コスト計算などするからもったいないと思うのだ。地方や原発メーカーの生活保護をやったと思えばいいのだ。ただしその生活保護はもう打ち切りだ。今ゼロから出発すれば様々な可能性があるのに過去の出費に引きずられて可能性を摘むのはそれこそもったいないことである。